京都ホテルオークラのすぐ近く、木屋町通御池の北側にある高瀬川一之船入の桜を紹介します。
高瀬川の桜といえば木屋町通沿い、三条から四条にかけての桜並木が有名ですが、一之船入の桜も高瀬川にせり出すほどの見事な枝ぶりで見応えがあります。
木屋町の桜もいいですが、三条通から少し上がれば一之船入まではすぐです。角倉了以や島津源蔵ゆかりの地で、歴史を感じながらの桜見物もなかなかいいものですよ。
高瀬川の開削と角倉了以
京都の二条通から木屋町に沿って、伏見まで流れる高瀬川は、川沿いに桜が並ぶ春の観光名所です。高瀬川は物流用の運河として、角倉了以・素庵父子によって江戸時代初期(1611~1614年)に開削され、京都の流通や経済発展に重要な役割を果たしました。
角倉了以は元々医師の家に生まれた京都の豪商で、高瀬川の他にも保津川(大堰川)の開削や、幕命により富士川、天竜川等の開削も行っています。また、朱印船貿易にも携わり、安南国との貿易を行っていました。
高瀬川の開削は当時の一大土木プロジェクトとして莫大な資金が必要とされ、その費用は7万5000両、現在の貨幣価値で150億円とも言われています。
幕府のお墨付きがあったとはいえ、豪商角倉了以の経済的裏付けがなければ、高瀬川や保津川の開削は成功しなかったでしょう。
高瀬川 一之船入と高瀬舟
高瀬川は底が見えるほど水深が浅いので、高瀬川の物流には底が平らで喫水が低い高瀬舟と呼ばれる特殊な船が用いられました。
高瀬舟といえば、森鴎外の短編小説も有名ですよね。インターネット図書館「青空文庫」では、森鴎外の「高瀬舟」が公開されてます。
高瀬川には、荷物の上げ下ろしや船の方向転換をするための「船入」が二条から四条にかけて9ヶ所設けられましたが、現在では「一之船入」だけが史跡として残され、残りはすべて埋め立てられています。
高瀬川 一之船入の桜
春の高瀬川は川沿いに桜並木が続き、桜の名所として観光客がたくさん訪れます。
高瀬川の桜といえば、三条から四条にかけての桜並木が有名ですが、一之船入の桜も高瀬川にせり出すほどの見事な枝ぶりで見応えがあります。
角倉了以の屋敷跡
高瀬川一之船入のそばには角倉了以の屋敷跡があり、現在は日本銀行京都支店の敷地となっています。一之船入に立つ角倉了以邸宅跡の石碑です。
その向かいには角倉了以の別邸跡があり、その中には「高瀬川源流庭苑」という見事な日本庭園があります。明治に入ってからは明治の元勲・山形有朋が「第二無鄰庵」を建て、その後は実業家の川田小一郎、政治家の阿部信行へと所有者が移り、現在は「がんこ二条苑」として営業中です。重厚な石の壁が何とも印象的ですね。
島津製作所の創業地 島津製作所創業記念資料館
また、高瀬川一之船入のすぐ北側、木屋町二条は医療機器や精密機械の大手、島津製作所の創業地でもあり、現在は企業ミュージアムの島津製作所創業記念資料館が建っています。
この建物は近代科学発祥の地として、初代・二代目の島津源蔵が45年間本社として使用した当時の木造2階建を再現したものだそうです。
島津製作所の創業碑と初代島津源蔵の胸像が立つ敷地内に、1本の小さな枝垂れ桜が花を咲かせていました。
まだ五分咲きといったところでしょうか。
高瀬川へせり出す桜
高瀬川一之船入の春は、桜目当ての観光客で賑わいます。
それに答えるかのように、高瀬川へ迫り出した桜が満開の花を咲かせていました。
木屋町の桜もいいですが、三条通から少し上がれば一之船入まではすぐです。角倉了以や島津源蔵ゆかりの地で、歴史を感じながらの桜見物もなかなかいいものですよ。