商売繁盛のご利益で知られる繁昌神社の神輿渡御「繁昌祭り」が2019年(令和元年)5月19日に行われ、男衆によって担がれた神輿が「ホイット、ホイット」「繁昌、繁昌」の掛け声と共に、氏子区域の室町通や新町通を巡行しました。
京都随一の繁華街、四条烏丸の交差点では神輿の辻回しが披露され、京都経済センター脇にある池坊短期大学では、神輿が置かれて臨時の御旅所が設けられました。
参拝するといただける繁昌の鈴には「人賑わって、夢賑わって、町も日本も繁昌しましょう」という縁起の良いお言葉がありました。
年に一度の神輿巡行に遭遇したら、それは商売繁盛の兆しかもしれませんよ。
繁昌神社の神輿渡御 繁昌祭り
京都市下京区にある繁昌神社は、四条烏丸から歩いて10分ほど、京都銀行本店がある烏丸高辻の少し西側、室町通と新町通の間にある小さな神社です。
繁盛神社はその名の通り商売繁盛のご利益で知られ、繁昌神社の周辺は昔から着物の問屋街として栄えてきたこともあり、元々商売人の多い地域でもあります。
繁昌神社の紹介記事: 京都の繁昌神社 商売繁盛の神社
繁昌神社では毎年5月に例祭「神幸祭」が行われ、神輿渡御「繁昌祭り」では、江戸時代に作られた神輿が繁昌神社の周辺を巡行します。この例祭は第2次世界大戦の影響で中断されていましたが、2013年から復活して神輿の巡行が再開されました。
当初は神輿を台車に載せて巡行していましたが、近年は男衆による手担ぎになりました。
神輿巡行の開始時間
例祭は10時から始まりますが、神輿の巡行開始時間は13時からです。班女塚からスタートして、途中の接待休憩を挟み、東西は烏丸通から西洞院通、南北は四条通から松原通までの間を巡行します。
四条烏丸では交差点内の通行を止めて、繁昌祭りのハイライト、神輿の辻回しが披露されます。
また、池坊短期大学では臨時の御旅所が設けられ、神輿に参拝させてもらえます。商売人や経営者の方は、お参りすると商売繁盛のご利益があるかもしれませんね。
繁昌祭りの神輿巡行
繁昌祭り当日は曇りでしたが、暑くもなく寒くもなく、神輿巡行にはちょうどいい気候でした。着物の問屋やメーカーが並ぶ氏子区域を神輿が巡行していきます。
繁盛神社の神輿は江戸時代から受け継がれてきたものです。戦争の影響もあり、巡行は1941年を最後に70年間途絶えていましたが、2013年に復活しました。
町の悪霊を鎮める祭具、剣鉾を差し上げて神輿を先導します。京都の祭りではよく見かけますが、長くて重い剣鉾をしなるように揺らして歩くのは、差し手の高度な技術が必要です。
剣鉾差し上げは祭事なので「電線に引っかかったら云々・・・」などと言うのは無粋ですねぇ。
接待休憩所の前では、神輿を差し上げて氏子の商売繁盛を祈願します。
神輿と一緒に神職の方々も同行して、笛や笙の祭囃子で巡行を盛り上げます。
繁昌祭り 四条烏丸の辻回し
3時前に神輿が四条烏丸までやってきました。交差点内の通行を止めて、いよいよ繁昌祭りのハイライト、神輿の辻回しが披露されます。
辻回しの前に、交差点内で剣鉾を差し上げます。
四条烏丸の交差点をぐるりと一周して、神輿を差し上げます。
四条烏丸では5分ほど車の往来が途絶えたので何事かという感じでしたが、周りの見物客は突然始まった神輿の辻回しを楽しんでいました。
池坊短期大学前の御旅所
巡行の途中にある池坊短期大学では、休憩中に誰でも参拝できる御旅所が設けられました。
繁昌神社には商売繁盛の他に、良縁成就のご利益もあります。
お参りするといただける「繁昌の鈴」です。身に着けておくといいことがあるかも。
参拝後には太鼓の奉納もありました。
繁昌祭り 神輿の宮入
周辺の氏子区域を回る神輿渡御を終えて、繁昌神社に宮入しました。
繁昌神社の前で神輿を差し上げます。
神輿はここから少し離れた班女塚に戻り、この脇にある蔵に入ります。繁昌神社は元々班女神社、班女ノ社と呼ばれ、繁昌神社の起源はここにあるそうです。
最後の差し上げを終えると、還幸祭が行われて神輿が解体され、繁昌祭りは終了します。
令和元年の繁昌祭りは天候に恵まれ、無事に終了しました。京都にお越しの際は、商売繁盛のご利益がある繁昌神社にぜひお参りしていってください。
繁昌神社と班女塚の歴史や由来を、以下の記事で紹介しています。よかったらご覧ください。
繁昌神社の紹介記事: 京都の繁昌神社 商売繁盛の神社
班女塚の紹介記事: 京都の班女塚 繁昌神社の奥の院
英語版記事: Hanjo matsuri Festival, Mikoshi parade at Hanjo-jinja Shrine in Kyoto