7月から京都の夏の風物詩、祇園祭が始まります。
2014年の祇園祭は49年ぶりに前祭・後祭が復活し、宵山と山鉾巡行が2回行われることになりました。また、前祭・後祭復活に続くもう一つの大きな出来事として、150年ぶりに大船鉾が復活して巡行に参加します。
2014年祇園祭 前祭・後祭と大船鉾復活
祇園祭は日本三大祭の1つに挙げられるほど大きなイベントで、県外からの観光客も含め、毎年たくさんの人が京都を訪れます。
2014年から祇園祭の内容が大きく変更され、49年ぶりに前祭・後祭が復活しました。
それに伴い、前祭は7月14日〜17日、後祭は7月21〜24日という日程で、宵山と山鉾巡行が2回行われることになりました。前祭は「さきまつり」、後祭は「あとまつり」と読みます。
祇園祭といえば宵山と山鉾巡行だけかと思いきや、実は7月1日の吉符入から31日の疫神社夏越祭まで1ヶ月に渡って続くお祭りです。その1ヶ月の間には祇園祭のメインイベントである宵山と山鉾巡行を含め、多種多様な祭事が行われます。
2014年の祇園祭では、前祭・後祭復活に続くもう一つの大きな出来事として、150年ぶりに大船鉾が復活して巡行に参加します。
前祭として「長刀鉾」など23基が巡行し、24日は後祭として殿を務める「大船鉾」など10基が巡行します。
前祭は従来のルート、四条烏丸を起点に四条河原町、河原町御池から新町御池までの巡行、後祭は前祭の逆回りで巡行します。
祇園祭 前祭宵山初日(宵々々山)
祇園祭宵山初日の7時頃に新町四条付近で撮影しました。車が通っているので時間を間違えたのかと思いましたが、今年から宵々々山にあたる14日は交通規制がありません。
実は祇園祭の日程と内容が変わったことを当日まで知りませんでした。
「そういえばニュースで見たような・・・」という程度の認識だったので、新町通がえらく淋しかったり、四条通に車が通っていることもおかしいとは思いつつ、ずっと気づきませんでした。
さて、2014年の祇園祭はどのように変わったのでしょうか。前祭宵山初日にぶらっと散歩しながら様子を見てきました。
夕暮れ時の室町錦小路です。この辺りは鉾の集中地帯ですから、普段の宵山と変わらない人出で賑わっています。
祇園祭前祭 菊水鉾
四条室町上ルの菊水鉾です。町内に古くからあった井戸、菊水井にちなんで「菊水鉾」と名付けられました。菊水井は室町時代末に千利休の師、武野紹鴎の邸内にあったといわれる井戸です。
皆川月華作の見事な胴懸です。菊水鉾はさぞかし歴史ある鉾なのだろうなと思いきや、一度は幕末の兵火で焼失し、1952年になって松本元治氏の尽力により88年ぶりに再興されたというまだ新しい鉾でした。これだけの鉾ですから、再興は大変だったでしょうね。
祇園祭前祭 函谷鉾
室町四条の東側にある函谷鉾です。中国戦国時代の政治家で、戦国四君の一人、孟嘗君が鶏の声によって函谷関を脱出できたという故事にちなみ函谷鉾と名付けられました。
孟嘗君は戦国時代に斉・魏・秦の宰相となったほどの傑物で、仁義をもって国を治め、食客を数千人も抱えていたといわれています。
孟嘗君は秦の昭襄王に招かれ宰相となりましたが、策謀によって陥れられます。脱出を図った孟嘗君ですが、函谷関で足止めされ、危うく殺されそうになったのです。
函谷関は鶏の鳴き声を合図に開門されるのですが、夜明け前に脱出しようとした孟嘗君は動きが取れません。そこで鶏の鳴きまねの上手な食客が機転を利かせ、鶏の鳴き真似をして、つられて本物の鶏が鳴いたことで門が開き、函谷関を抜け出すことが出来たのです。
その故事にちなみ、「鶏鳴狗盗」という言葉ができました。
函谷鉾の鉾頭にある山と月は、函谷関の山稜にかかる三日月を表しています。鉾のパーツにはそれぞれ意味が込められているのですね。
祇園祭前祭 鶏鉾
室町綾小路上ル、鶏鉾です。堯の時代に天下が穏やかに治まり、諫鼓と言う訴訟用の太鼓を使う機会もなく、その太鼓に苔が生えて鶏が巣を作ったといわれる故事にちなんで鶏鉾と名付けられました。平和の証ということなんでしょうかね。
写真を見ての通り、鉾頭は隣のビルより高く、その先には三角の中に鶏卵を象徴する金の円がついています。
祇園祭前祭 綾傘鉾
室町綾小路西入にある綾傘鉾です。祇園祭の鉾の中でも、応仁の乱以前からあった古い鉾の一つで、傘鉾という特殊な形態を持つ鉾です。
綾傘鉾は1864年の大火で大部分を消失し、一時は鉾を持たない徒歩噺子として巡行に参加したものの、1884年以来祇園祭から姿を消します。
しかし、善長寺町の町衆の尽力により、綾傘鉾は1979年に復興して祇園祭に再登場することになりました。
綾傘鉾といえば、やっぱり棒振り囃子ですよね。赤熊(しゃっくま)という赤いカツラ(?)を被った踊り手が棒振りを演じます。その周りで二人一組の太鼓方が、締太鼓を手に持って受け、もう一人がそれを打って踊りながら囃します。
山鉾巡行では2基の笠鉾が巡行し、棒振り囃子が演じられます。綾傘鉾は他の鉾のように威容を誇る装飾などはありませんが、芸能やお囃子という祇園祭の古来の姿を伝える鉾だと言われています。綾傘鉾はやっぱり棒振り囃子がメインですよね。
祇園祭前祭 船鉾
新町綾小路下る、船鉾です。祇園祭では唯一の船の形をした鉾でしたが、今年から大船鉾が復活するので、船鉾は2基になります。元々は日本書紀にある神功皇后の新羅出船が由来で、「出陣の鉾」である船鉾と、「凱旋の鉾」の大船鉾がペアになっていました。
今年は150年ぶりに大船鉾が復活するので、ようやく元の姿に戻るわけですね。
船鉾には神功皇后と共に、副将の住吉明神・舵取り役の鹿島明神・水先案内人の龍神・安曇磯良の三神を祀っています。船鉾の舳先には金色の鷁が飾られ、船尾には飛龍紋の舵がついています。
神功皇后は身重でありながら、夫の仲哀天皇が急死したため、夫の死を隠し代わりに男装して朝鮮半島に出兵、九州から玄界灘を渡って新羅の国を攻めました。
新羅は戦わずして降服し、高句麗・百済も朝貢を申し出たそうです。これは三韓征伐と呼ばれ、今でも全国各地で神功皇后の業績を称えるお祭りが存在しています。
神功皇后ってたいした女傑だったのですね。
また、神功皇后は朝鮮半島から凱旋した後で、無事に皇子を出産しました。この故事にちなみ、神功皇后は安産の神として信仰されるようになりました。
神功皇后の神像には、妊婦さんから申込のあった御腹帯をたくさん巻いて巡行します。その御腹帯は、安産のお守りとして妊婦さんに授与されます。
祇園祭前祭 岩戸山
新町仏光寺下る、岩戸山です。
「古事記」や「日本書紀」でもおなじみ、天岩戸が開き、天照大神が出現したという神話「天の岩戸」と、イザナギノミコト・イザナミノミコトによる日本創世(?)の神話「国生み」が由来です。
名称は岩戸「山」ですが、外観は鉾と同じ、車輪がついた曳山で、鉾ではないため鉾柱の代わりに真松が立てられています。岩戸山には天照大神、手力雄尊のご神体が祀られ、屋根には国生みの父、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が鎮座しています。
岩戸山の会所では、見送が展示されていました。1986年に川島織物の手によって復元された見送「日月龍百人唐子遊文綴錦」です。
こちらは1979年に製作された染織作家、皆川泰蔵作の見送「ヴェネチア図」です。
岩戸山は夜遅くまで拝観客で賑わっていました。
祇園祭前祭 新町通の様子
帰りに寄った新町錦小路上ル付近です。ここは南観音山のある場所で、その先に北観音山、八幡山と続き、以前の祇園祭期間中は夜でも人通りが絶えない場所でした。
前祭の新町通りはとても静かですが、祇園祭の後祭になれば賑わうことでしょう。
屋台では1日遅れの開店準備をしています。今年は営業形態が激変し、出店できる場所も減って、さぞかし大変なのではないでしょうか。
夜店は祇園祭の風物詩という人もいれば、通行の邪魔だから減らした方がいいという人もいますし・・・なかなか難しい問題です。
さて、祇園祭の後祭はどんな感じになるんでしょうか。祇園祭 後祭宵山の様子と、後祭山鉾巡行の様子も書いてます。よかったら見てくださいね。


以下は祇園祭に関する記事一覧です。宵山や山鉾巡行の見どころを紹介しています。
